2017年7月10日月曜日

佐川宣寿と前川喜平

 麻生財務相は4日、佐川宣寿理財局長を国税庁長官に任命した。

「行政文書はすべて処分した。違法なことは何もしていない」。森友学園の国有地払い下げを巡り、国会で何を聞かれても杓子定規な強弁を繰り返したあの人が、国民から税金を集める役所のトップに立つ。

 首相官邸は、この人事で大きな間違いを2つ犯した。

 第一は、佐川氏を国税庁長官にした人事判断そのもの。

 第二は、東京都議選に現れた潮目の変化に対応することもなく、火に油を注ぐ人事を漫然と行ったことだ。

財務省の「忖度」を知らぬ存ぜぬで
押し通した佐川氏が国税庁長官に

「森友学園の国有地の話は2月以降、国会でたびたび質問を受けたのに対し、佐川局長以下、国有財産行政を担当する理財局が丁寧な説明に努めてきたと認識しております。そういう意味では私どもとしてはきちんと対応してますんで、特に瑕疵があるわけでもありません。佐川はこれまでも国税庁次長や大阪国税局長やら、税の関係をいろいろやっていると記憶していますんで、そういった意味では適材だと思う」

 朝日新聞電子版に載った麻生財務相のコメントだ。答弁は丁寧、過去に国税の要職を経験している、だから適材適所の人事というのである。

 佐川氏の答弁を「丁寧な説明」と言う感覚には驚くしかない。

 9億円の土地を1億円で売った根拠を聞かれても「適正に処理した」と繰り返した。交渉経過を明らかにすることを求められても「文書が残っていない。廃棄された」と言い張った。

 行政文書の保管は、後でもめ事が起きた時経過を確かめたり、行政が適切に行われたか後に検証できるようするためのものだ。交渉経過や応答記録は文書として残す。それが役所の流儀である。「処分した」は、証拠隠滅さえ疑われる行為である。それを違法としない財務省令があるなら、国民の監視の眼をかいくぐって財務省が勝手に作った「抜け穴」である。

 近畿財務局が森友学園を優遇したことは、当事者である籠池同学園理事長が証言している。財務基盤が弱く小学校新設の認可さえ怪しい森友学園に、国有地を払い下げることには無理があった。格安で賃貸し、設置認可に用地所有が条件となると驚くべき安値で払い下げた。近畿財務局の職員が大阪府に足を運び、設置認可の後押しをしたと見られるような行動までしている。

 この学校は安倍晋三記念小学校として構想が動き出した。昭恵夫人が森友学園の教育方針を絶賛し、安倍氏が首相になると財務局も無視できなくなったのだろう。

 本連載3月17日付「なぜ財務省は森友学園に通常あり得ない厚遇をしたのか」に書いたように、消費増税延期や軽減税率導入などで官邸に押しまくられた財務省は「安倍融和策」として森友の小学校建設に協力した、と見ると分かりやすい。

 行政権限の一端を使って恩を売り、「仲良し」になって省の方針に協力してもらう、という手法は財務省の得意技でもある。

 予算・税制から国有財産まで強力な権限を握る財務省だからできる芸当でもある。

 交渉記録が明らかになれば、森友学園の側に立って動いた財務局の実態が浮かび上がったことだろう。首相夫人の「私的な活動」で行政が捻じ曲がり、「お友達」は特別扱いだったことを、国民は具体的に知ることができただろう。

あからさまな論功行賞
組織を守った佐川氏は「官僚の鑑」か

 財務省関係者によると「佐川局長の頑張りで防衛線が守られた」という。

 頑張りとは、木で鼻を括ったような答弁を繰り返し、野党の追及から逃げ切ったこと。内部を引き締め、加計学園で文科省が演じたような文書流出もなく事態を鎮静化させた。その結果、財務省・財務大臣の立場は守られ、首相夫妻に飛び火することもなかった。

 テレビ中継で大写しされながら、筋の通らぬ屁理屈を滔々と述べる汚れ役を引き受けることで、佐川理財局長は組織防衛を貫いた。「官僚の鑑」である。国税庁長官として遇されるのは当然――。これが財務省の論理である。

 公務員は誰のために仕事をするのか。

「官僚は政治の僕(しもべ)」という言葉がある。霞が関の官僚はスーツ姿で仕事をしているが、軍隊でいえば「制服組」と同じだ。専門家集団ではあるが選挙で選ばれたわけではない。シビリアンコントロール(文民統制)が必要で、各省に大臣・副大臣・政務官など政治家が配置されている。

 中国は、共産党が政府を指導しているが、日本も同じ構造で、違うのは政治家が選挙で選ばれるか、である。

 官僚は政治家の統制下にある。その指示を無視して勝手な行動は許されない。その点から言えば佐川理財局長が「官僚の鑑」なのだろう。

 問題はシビリアンとしての政治家にある。いつも正しい判断をするわけでない。誤った判断をすれば選挙で首をすげ替えられる、といっても個別の判断や政策は選挙の争点になりにくい。強い政権が長く続けば、驕りが生じ「権力の私物化」が起きやすい。

 森友学園も加計学園も、起こるべくして起きた権力の「緩み」「暴走」だろう。シビリアンが陥る「権力私物化」を間近に見る官僚が取った行動は、財務省と文科省で真逆だった。

公平感覚に疑問の人物が徴税トップ
「安倍政権は反省していません」

 軍隊組織のように皆が同じ方向を向いて秩序を守ったのが財務省だ。見ようによっては、権力者の意向に沿って「カラスは白い」と言い張って組織防衛を果たした。

 強い権限を握る役所には天下りを含め処遇するポストはたくさんある。忠誠を果たせばご褒美がもらえる、という分かりやすい図式を示したのが佐川氏の人事だ。異論があっても表面化させない求心力の背後には強力な人事権がある。

 森友学園は、籠池理事長の「自爆公表」で首相夫人による介入があらわになった。傷口をふさいだのが財務省の鉄壁の守りだった。

 籠池氏を補助金詐欺で逮捕すれば一件落着と考えている人がいたかもしれない。そんな気の緩みが「第二の誤り」を犯したのではないか。

 佐川国税庁長官の人事は、霞が関・永田町では「当然のこと」と受け止められても、有権者から見れば「安倍政権は反省していません」と言っているように映る。

 有権者は事の真相を確かめることはできないが、籠池氏の言っていることと首相の説明のどちらに分があるかは理解できる。

 国税庁長官人事は、「逃げ切ったら勝ち」と宣言したに等しい。徴税の長官に公平感覚に乏しい人物を据える。私たちは、こんな人に納税申告書を提出するのだ。

 財政の現状を見れば、税金は取りたてて集めればいい、という時代ではない。高齢社会の到来や人として暮らしを維持する行政サービスは増えるばかり。負担を分かち合うシステムをどう作るか。有権者の理解を得ない限り先に進めないところまで来ている。

 負担を求めるなら、税金はフェアで透明な使われ方でなければ納得は得られないだろう。「納税者より権力者に顔を向ける官僚」のアイコンのようになっている氏を徴税のトップに据える感覚を疑う。

 審議官以上の官僚人事は内閣人事局の決済が必要だ。政治任用という。役所の事務方が原案を作り、官邸が当否を政治的に判断する。局長は萩生田光一官房副長官。国税庁長官人事はここで決まった。

 通常なら財務省の論理もありだろうが、都議選で示された民意で状況は変わった。モリカケ疑惑に有権者は政権にNOを突き付けた。論功行賞の人事など国民は納得しないだろう。政治任用なら、人事を差し替えるくらいの周到さが必要ではなかったか。イエスマンばかりを集めた官邸は国民の怒りに鈍感すぎる。

文科省では前次官と現役官僚が反旗
国民にとって“一流の官庁”はどちらか

 変化は中心から遠いところから起きた。反乱は霞が関で「三流官庁」などと言われた文部科学省から起きた。

 加計学園の獣医学部新設で、行政がねじ曲げられたことを示す内部文書がメディアに流出した。官邸は「怪文書」と取り合わず、文科省も調査したが見当たらない、と否定。そこに登場したのが前川喜平前文科次官である。

「総理のご意向」などと書かれた文書は存在すると明かし、「あるものをないとするのはおかしい」と官邸の対応を批判した。

 官僚には守秘義務が課せられ、在職中に知った秘密は退職後も漏らしてはならない、とある。公務員法違反という批判を受けながら、前川氏は「秘密であっても、行政が歪められた事実があるなら国民には知る権利がある。権力は私物化される恐れがある」と政権に対峙した。次官まで上り詰めた官僚が政権を真っ向から批判するのは極めて珍しい。安倍一強に内部から反撃する一矢である。

「官僚は政治家に仕えるのが仕事だが、政治家の後ろにいる国民が主権者だ」と前川は、政治家が誤りを犯したら国民目線で是正を迫ることの必要性を説いた。加計学園の獣医学部新設は、行政が行うべき認可条件の吟味をすっ飛ばし、政治判断で決着された、と明かした。

 前川の背後には、名を伏せてメディアに証言する現役の文部官僚が多数いる。次の人事で不利益な扱いを受けることを覚悟で一歩踏み出した人たちだ。「文部行政に係わりたくて」「世の中に役立つ仕事をしたい」という思いで仕事についている人たちだ。一流官庁とされる財務省では見かけない役人だ。

 その象徴が二人の行政官だろう。なにを聞かれても「適正に処理した」と言うだけで説明をしない佐川宣寿。行政の在り方を諄々と説く前川喜平。どちらが「国民の官僚」なのか、見比べれば明らかだ。

 権力に寄り添った佐川氏は国税庁長官に出世し、弓を引いた前川氏は「出会い系バーに出入り」と人格攻撃まで受けた。

 あまりにも分かりやすい「権力の身勝手」が自民党大敗という都議選の結果となって表れた。まずは一件落着、ではない。潮目は変わった。新たな蠢動がこれから始まる。